われもかう通信
(仮想起業日記 - 2013Q2)
何とか「半引退状態」に軟着陸したい、との思いは、 見果てぬ夢で終りそうな予感が…… ちなみに、「われもかう」は現代假名遣いでは「われもこう」と書き、 「ワレモコー」と読みます。
目次
2013-06-26 (Wed): やっぱり株なんてよう分らん2013-06-12 (Wed): 簿記試験に落第する
2013-05-25 (Sat): 小人閑居して——前途遼遠
2013-05-18 (Sat): 仮名遣再訪——「仮名遣意見」の巻
2013-04-27 (Sat): 仮名遣再訪——字音仮名遣いの巻
2013-04-13 (Sat): 小人閑居して——「写生」を極める
2013-06-26 (Wed): やっぱり株なんてよう分らん
バブル華やかしころ、「少しくらい株を持ってないと、現実の経済は分らない」 なあんて言う人が有ったが、どうやら、これは四分の一くらいしか当ってないようだ。 つまり、少しでも株を買ったら確かに株価に注意を払うようにはなる、 が、経済の事はもちろん、株価だってちっとも分るようにはならなかったよ。ともあれ、本日 (6/26)、半年前までお世話になった某 O 社の株主総会が有った。 私もささやかながら一応は株主様なので、総会の案内状が来ていて、 出席するのを楽しみにしていたのだが、当日になって(というか前日から) 体調が悪くなって、出席を取り止めてしまった。 多分最初で最後の機会だった上に、 カミさんが「お土産が沢山もらえるかもよ」などと言うものだから、 余計残念な気持がつのる。
その株価の推移は、今や iPhone のアプリで見る事ができる。 アベノミクスのおかげか、O 社の株価も一時は 3400 円を超えていた。 うーむ、こんな事なら、早々に売っ払っておけば良かった。 でも、まあ、株主総会に出るために、売るのをやめた訣ではなく、 要は愚図々々してただけ——基準日 (3/E)?に持っていれば、 その後売ろうがどうしようが、投票権は有るらしい。
2011 年後半の「暴落」は、例の「不祥事」によるもので、 この時は、今回も我虎の子もこのまま紙切れになってしまうのか、 と観念した。(今まで株で儲けた事が一度もない。) しかし、よく持ち堪えて、何とか数年前の水準まで持ち直している。 大したもんだ。
それにしても、株価ってのはわからんねぇ。超優良企業の Apple さんは長期低落傾向……。 上っているときは、何でそんなにどんどん上るのか分らなかったけど、 今どうして、一本調子に下げるのかも分らない。 一年前に急に経営が拙劣になったとか、利益率が下ったなどという話は聞かないし。 (まさか、税金逃れが一年前からバレていた訣ではないよね。) 実はこの株が、まだ $150 そこそこだった頃、 ちょっと買ってみようかとジタバタしてみた事がある。 結局どうして良いか分らず、まごまごしているうちに、知り合いの会計士さんに 「買うのは不可能ではないけど、税金他が結構面倒臭いかも……」と言われて、 あっさり諦めたのだった。 その後「あれよあれよ」の間に何倍にもなる騰貴で、 この「とらぬ狸」話は、 自分の「十八番」になっていた。 が、一年前くらいから、あんまりウケなくなってきている。 (もともと大してウケてなかったような気もするが。)
そんな事はどうでもよくて、要は「現実に目覚め」ようとしたけど、 結局はようわからん、という結論になりつつあり、 起業するにしても、株式会社は難しすぎるから、合同会社かなぁ、 なんて、誠に非論理的な決断をしつつある…… :-p
2013-06-12 (Wed): 簿記検定試験に落第する
そう言えば、資格試験では比較的健闘している。 最後に落ちたのは、運転免許の仮免の試験だったかな(ン十年前)。 通った方の最後は San Diego の運転免許の試験だったと思う。 こう書くと、そのン十年間は連戦連勝だったように聞こえるが、 運転免許(その日本での本試験、NC での運転免許)を除けば、 実は他に試験を受けたのが二陸技(第二級陸上無線技術士)だけ。
なのに、何故か楽観的になっていて、 簿記検定3級に教科書を買ったのが試験の 10日前。 実は、その前にも本屋さんに行ったのだけど、 テキストと間違えて問題集を買ってしまったのだった。
それはともかく、私の「簿記」との付き合いは決して短かくはない。 まだ日本 DEC に居た頃、立志伝中の人 Ken Olsen さんが会社を起した時の話を聞いたか読んだかした事があって、 その中で、彼がサミュエルソンの「経済学」の付録で勉強した、と有った。 その付録というのが、ハミガキ会社を例にして経理を説明する、というもので、 何と私にもそのあたりを読んだ記憶が有って、よし、 とばかりに再挑戦したのだが、やっぱり撃退された。 借方、貸方というのが、どうしても理解というか納得できない。
この「苦手意識」はもはやトラウマの段階に逹しているのだが、 独立起業するとなると、そんな事も言ってられない(と皆が言う)ので、 何か切っ掛けが欲しい、という事で簿記検定受験を決心したのだった。
テキストが、14日、10日、7日コースに分けてあったので、 7日コースを選ぶ。ポツポツ勉強を始めたのだが、 少しすると早速あのトラウマが……。 しかしそれにはめげず、試験の前日までには一応全部やれたし、 前日の午後から、練習問題を解きながら、復習もした。 試験問題を解いた事がなかったので、かなり不安ではあったが、 なんとかなりそう、という甘い期待も……
試験場に入ってみると、 二陸技の時とはうって変って、雰囲気が明るい。 これは若い受験生が多いせいだろう。 しかも、さらにその半数は女性だ。オジ(イ)サンは自分を入れて三名程。 試験官が説明の時、やたら壁掛け時計の精度に拘るので、なんでやろ、 と思っていたが、試験が始まってみると、その理由がようく解った。 兎に角時間が足りない! 「これどう考えるんだったかなぁ」なんてやってると、全く間に合わない。 で、結局大物(30 点)がまるまる白紙のまま残ったので、落第が確定した(合格は 70点以上)。
普通ならムキになって再挑戦する流れだが、 今回はちょっと弱気になっている。 というのも、たった 2時間の試験で疲れ果てしまったから。 手で細い字で解答を書くのとか、電卓を叩き続けるのが結構堪える……。 次の試験は 11月らしい。さあて、どうするかなぁ。 (なあんて考えている暇が有ったら、 持ち帰った試験問題を復習した方が良いに決まっているのだが……)
2013-05-25 (Sat): 小人閑居して——前途遼遠
縦書きの本ばっかりに現を抜かしている訣でもないのだが、 現に「われも工房」の設立準備は遅々として進まない。 大きな課題は「電磁界シミュレータ」や「文書管理システム」、それに 「自宅サーバ」 だったが、前者は諦めて、会社設立後の課題とする (いきなり前途多難である)。 何しろ、ベンダさんは個人事業主にはえらくそっけなくて、とりつく島もない。 一ヶ月の試用さえ門前払いを食ってしまった。 (今に見返してやるからな、おぼ えてろよ :-)文書管理システムは、前に自作したものが有るので、 それをちょこっと改造すれば OK の筈だったが、 Django の 1.4 -> 1.5 のギャップが大きすぎて、 既存の物をそのまま働かすのさえ覚束無い……まあ、今思えば Python-3.x で始めよう(だから、1.5 まで待とう)なんて思ったのが間違いの始まりだったなあ。 しかし、何とか admin は動くようになったので、もう一息。
当初、この文書管理システムには、今 HyperCard でやっている本の「インデックス」も統合しようと思っていたが、 上記の「そもそも」問題でしばらく延期していた。 HC のスクリプトを、Django に移すのもかなり大変そうだし、 一層、RunRev の LiveCode にポートしてみようかな、とも思ったが、その矢先に その LiveCode が Open Source になるとのニュース……買うつもりで二三質問したら、寄付を求められた。 随分迷ったが、結局内部エンコーディングが UTF-16 で、日本語対応に不安がありそう、という事で見送った。 が、首尾よく寄付は集ったようで、 6 月のリリースは確定したようだ。出たら早速試用してみよう。
自宅サーバのは方は、とりあえずシステムはそのままで、 アカウントだけ増やせば良いや、くらいに考えていたが、 HTTP サーバのレスポンスが悪くなっている、とか、 メールをたまに受け損ねる、メールの転送を拒否される(So-net さんの SMTP-posting サーバの問題が再発した)とか…… どうも問題が多い。しかも、どれも微妙で追及に時間がかかりそう。 どうやら(少くともメールは)外のサーバに頼った方が良さそうだ。
それにしても前途遼遠なり。
2013-05-18 (Sat): 仮名遣再訪——「假名遣意見」の巻
鷗外全集はしばらくお休み、などと「決心」したものの、 以前から気になっていたエッセイや評論は未練がましく時々開いている。 が、然程広い部屋でもないのに、 菊判の全集本の一冊が見えなくなる、という椿事が有って、 この項を書くのはもう諦めていたのだが、 二週間あまりも経ってから、ひょっこり出て来た。出てきたものの、肝心の「仮名遣意見」は片仮名で書かれている上に、 かつ句点も読点(「、」)と同じになっていてとても読み難い(再々読なのに)。 こんなものが「仮名遣意見」で良いのか、と八つ当たりしたくなる程。 なので、三度目は青空文庫で読んだ。 楽に読めるようになると、 今度は内容の方がかなり支離滅裂であるように思えてきた。
意外にもその頃の碩学達(大槻文彦博士、芳賀矢一博士他) は表音的な假名遣いを支持していたようで、 鷗外さんは孤軍奮闘している形だが、そのせいも有ってか、 かなり「無理押し」をしている。例えば
これなど、 「むずかしい」と言っている人に「もっと頑張れば何とかなる筈」と言ってるだけだろう。稍上の學校、中學以上になつて假名遣を誤る例を頻りに擧げられて、 それを以て困難若くは不可能の證明にしようとせられますけれども、 是れは周圍に誤が多い、 新聞紙を讀んでも小説を讀んでも、皆亂雜な假名遣である、 目に觸れるものが皆間違つて居るのでありますから、 縱令學校だけでどう教へても誤まるのであります。 併し明治初年から今日まで若し假名遣を正しく教へることを努力せられたのであるならば、 餘程新聞記者や小説家にも假名遣を知つて居る者が今日は殖えて居まして、 新聞や小説が正しい假名を多く書くやうになつて居はすまいかと思ひます。 さうしたならば中學以上の人などはそんなに間違へずに書きはすまいかと思ふのであります。
こういうのも有る。
それからもう一つ申して置きたいのは、 小學などの教育に新しい發音假名を教へると云ふことは是れは混雜の原因となる。 それは教へなくても宜しいと云ふことであります。 是非小學校の初めから假名遣は正しい假名遣を教へるが好い。 教科書は正則の假名遣で書いてやりたい。 そこで子供に自身で何か書かせる。 書かせる段になると云ふと或は發音的に書くかも知れぬ。 其の時に發音的に書いたのを誤としない、それを認めてやる。 こんな時の教員の參考には、 今云つたやうな發音的の書き方の調査が出來て居つたならば、 それを使用することが出來るだらう。 發音的に書いたのを、それを誤には勘定しない、斯うして行きます。 さうすると云ふと一向差支ない。是れが本當の許容である。ご冗談でしょう鷗外さん、と言いたくなるような頓珍漢である。 「難しさ」を緩和しようという事のようだが、 混乱が余計酷くなるのは必定。(生徒にとっては悪夢だろう。)
これで、もうすっかり吹っ切れてしまった——歴史的假名遣は、 「正書法」としては難しすぎる。
が、同じ巻に、「鸚鵡石」という戯曲(単なる対話か)が有って、 これが「仮名遣い」の面から、とても面白い。 言ってしまえば、仮名遣いを巡る鷗外さんと出版社(楽文館:実は博文館?) の間の確執の話で、 鷗外さんは、「談話体」では
- まうす ⇔ まをす
- はうき ⇔ ははき
- ほうかむり ⇔ ほほかぶり
- いらつしやい ⇔ ゐらつしやい
- おいでなさい ⇔ おゐでなさい
- 身に染む ⇔ 身に沁む
- 采 ⇔ 賽
- 訣 ⇔ 譯
これらは、「歴史的」対「現代」仮名遣いの話ではなくて、 歴史的仮名遣い、もしくは正漢字の中の統一の問題である。 博文館の校正係の(多分世の中で一般的となっていた)「正書法」 を、鷗外さんは様々な理由から、変更しようとしている訣だ。 (「談話体」では假名遣を変える等という無茶も言っている。) エッセィとしては本当に面白いが (鷗外さん意外にユーモアもあるんだ、みたいな)、 しかし一方で、明治も終りに近くなって(明治42年)、 まだこんなところで揉めているのか、という感がある。 (上記の「意見」も発表は同年。) 言い換えれば、 歴史的假名遣いには現代語の正書法としては困難が多い、 という事を鷗外さんが自ら示しているように思う。
実は、ちょっと前から、自分も「訣」を使っていて、 そのために余計興味を持ったのだが、 結論は「単純に辞書(広辞苑)に倣う」 がやっぱり自分の身の丈に有ってるな、というあたりか。 つまり、歴史的假名遣いで悩むのはもうやめにする。
ちなみに、広辞苑は、上の「訣」と「ほうかむり」以外は、 鷗外さんの案を取るか、許容範囲に入れている。 鷗外さんの影響力は流石である。
2013-04-27 (Sat): 假名遣再訪——字音仮名遣いの巻
正假名を少し練習してからもう 4年にもなる。 それ以降も読む方は止めた訣ではないが、段々疎かになってきていた。 しかしこのところの「小人閑居の再読熱」のせいで、 また、ぽつぽつ読んでいる。 しかし、ドナルド・キーンさんの「百代の過客(正・続)」 に刺激されて(すぐ影響される奴)文語で日記をつける…… なんて無謀な事を企てた時以外は、またそれを書いてみよう、 なんて気は起していない。閑話休題。
現行憲法無効論派も多士済々のようで、 国語表記なんぞには全く興味を示さない人から、 正字正假名を通し、時には文語も綴る「硬派」もいる。 まったくもって御苦労な……もとい、見上げたものである。 ある時、その人が作ったビデオクリップを「読ん」でみて大層驚いた。 講演に正字正假名で字幕をつけているのだが、 あきらかな聞き間違い(「批判(市販?)しても売れない」)や、書き間違い (「支配化(下?)に置かう」)が有る他、 とりわけその振り仮名がおかしい。 (「陰険」⇒「いむけむ」、「心理」⇒「しむり」等々。) 「なんじゃこれは」と思い、Twitter で「酷いですね」と言ったら、 本居宣長の「字音仮字用格」(じおんかなづかひ)に拠っている、との事。
これには驚いた。 何しろ、 手持ちの辞書(広辞苑、大野晋「古語辞典」)には、そんな見出しは無いし、 漱石全集も鷗外全集も、そんな仮名遣いで、振り仮名をつけてない。
私の「仮名遣いに困った時の神頼み」は、白井良夫「かなづかい入門」か、 高崎一郎氏の平成疑問かなづかひなのだが、前者は、 字音假名遣いを「悪魔の假名遣い」等と罵るばかりで、 具体的にどうなのかは教えてくれない。 しかし、高崎さんのサイトは (「理論」の方は自分の理解を遥かに超えているものの) 読み方については常にズバリ答えてくれる。曰く、 「心」: シム(旧シン)なのだそうな。 これで、「心理」を「シムリ」とするのは間違ひではなさそう、 という事だけは解ったが、しかし、 それ以上に疑問が湧いてきた。 「旧シン」って何?とか、岩波の全集の振り仮名や辞書の見出しは「間違い」、 もしくは「旧」なの?とか。
なかなか、この疑問にズバリ答えてくれる資料なりサイトは見付からなかったが、 あちこちかじった結果から察するに、
- 「字音仮字用格」は、撥音(はねる音)を、全て「む」と書く。 つまり、「心身」は「しむしむ」と綴る。 (なので、kwikau さんの、「『字音仮字用格』に沿っている」は正しくない訣だ。)
- 宣長の弟子達が、師匠の仕事をさらに精密化して、 な行のむ行の撥音を書き分けるやうにした。(「心身」は「しむしん」)
- しかし、明治に入って、撥音に関する書き分けは単純化され、 歴史的假名遣ひの一部となった。(「心身」は「しんしん」。)
- 高崎氏の漢字音研究に基いて、またさらに精密化される。 (「心身」は「しむしん」)
和語を歴史的假名遣で書く、というのはまだわかる。 かつて実際にそう発音されていて、またそのように書かれていたのだから。 しかし、字音語についてはどうだろう。 外来語としての字音語の発音(呉音と漢音がある)を書き表すのに、 四十七文字の假名を使って漢字の発音を書き分けようというのだから、 これは大変。例えば、 「感心」は「くわんしん」もしくは「くわんしむ」と書いて「カンシン」 と読めといふのだから。ちっとも意味といふか効用が解らない。 (本居宣長さんの「手遊び」を真に受け過ぎたのでは?)
これはとてもではないが、自由に書けるようにはならないだろう。 書かないとすると、振り仮名としてだけしか御目にかかる事はない訣だが、 それでも、(日本語としての)発音を示すために、 「新字音仮名遣い」で「くわんしむ」とするのは勿論の事、 旧(正?)歴史的假名遣ひで「くわんしん」とするのでさえ、 無駄な努力に思える。
岩波文庫の緑版や新潮文庫は、地の文が歴史的假名遣ひでも、 振り仮名は現代仮名遣によっている。これはなかな的を射た決断ではなかろうか?
ともあれ、字音仮名遣いについてはもう「やめ」にする。 旧(正?)歴史的假名遣のそれで十分である。 そもそも、新しく出版される本には、 歴史的假名遣の振り仮名なんか付いていそうもないし、件の字幕だって、 元の漢語は然程難しいものではないのだから(「陰険」くらい誰でも読める) 要は、下手に興味を持たず単に無視すれば良かったんだよな、考えてみれば。
2013-04-13 (Sat): 小人閑居して——「写生」を極める
先にも書いたが、「(小人)閑居」のささやかな「楽しみ」は 「ひょい」と古い本を取り上げる折が増えた事。 しかも、これがなかなかの打率である。 殆んどが再読なので、あたり前と言えば当り前なのだが。 しかし鷗外さんや三国志の「がっかり」も有るので、 古いかどうかより、むしろ重いか軽いかで打率が決まっているようにも思う。 (内容ではなく、物理的に重いかどうか。)で、「墨汁一滴」と「病状六尺」 は久々のクリーンヒットだった(岩波文庫でとっても軽い。) 今だに時々読み返している。 (エッセィを読み返したりするのは、壇ふみさんのベストセラー達以来のような気がする。)
悲惨と栄光
しかし、子規さんのこの克己心はどこから来るんだろうねぇ。 克己心というよりバイタリティと言うべきか。 御自分でそうと書いていなければ、 これらが病床で寝返りを打つこともできない人の著作物であるとはとても信じられないだろう。 自分自身が重病に苦しんだ事はないが、 母親が脳卒中で倒れて長く寝付いた事もあり、 家に恢復の見込みのない病人がある事の重苦しさはよく解っているつもり。 だから余計に子規さんのこの一種の明るさやユーモアが奇跡のように思える。で、こちらが悄気た時の「効き目」たるや、もう純粋カフェイン並。 例えば、これらのどちらかを読んだ直後に、 寝違えたのかどうかして首が痛くてどうにもならない、 という事が有った。 これは、鋭い痛みが有る時より、 むしろその後の「ずっと鈍痛がして頭が重い」状態の方が辛くて結構落ち込む。 しかし、お陰様で、そんな中でも至って意気軒昂、 あんまり滅入らなかったように思う。 とにかく何であれ、自己憐憫がアホらしく思えて来るのだった。 ——しかし、意気軒昂で「寝転がり読書」を続けたせいで痛みが長びいた、 という嫌いは有るかも。
写生と月並調
もとより、俳句や短歌については門外漢で、 百人一首でさえ諳じているのはほんの僅か。 なので「写生」なんていう言葉も、国語の教科書や、 漱石さんの著作の中に出てきても、「ようわからん」話の第一だった。 というか、そもそも興味が無かった。しかし、宗匠が書くところを眺めていると、 なんとなく解ってきた(ような気がする。)
などというあたりは言ってしまえば「常識論」に過ぎないだろうが、しかし、 世の「文学論」の多くが「痛烈な批判」と感じる警句ではなかろうか。先日短歌会にて、最も善き歌は誰にも解せらるべき平易なる者なりと、 ある人は主張せしに、 歌は善き歌になるに従ひいよいよこれを解する人少き者なりと、 他の人はこれに反対し対に一場の議論になりたりと。 愚かなる人々の議論かな。文学上の空論は又しても無用の事なるべし。 何とて実地につきて論じざるぞ。 先ず最も善きといふ実地の歌を挙げよ。 その歌の選択恐らくは両者一致せざるべきなり。 歌の選択既に異にして枝葉の論を為したりとて何の用にか立つべき。 蛙は赤きものか青きものかを論ずる前に先づ蛙はどんな動物をいふかを定むるが議論の順序なり。 田の蛙も木の蛙も蛙の部に属すべきものならば赤き蛙も青き蛙も両方共にあるべし。 我は解しやすきにも善き歌あり解し難きにも善き歌ありと思ふは如何に。
しかし、これで終ってしまっては、 「何とて実地につきて論じざるぞ」自体が「空論」になってしまう—— と思ったわけではなかろうが、子規さん、「明星」に載った短歌の批評で、 「実地の」作品をこてんこてんに……
その後三頁程も的確適切な批判が続いた後、……いづれより手を着けんかと惑はるるに先づ有名なる落合氏のより始めん。
わづらへる鶴の鳥屋みてわれ立てば小雨ふりきぬ梅かをる朝
「煩へる鶴の鳥屋」とあるは「煩へる鳥屋の鶴」とせざるべからず。 原作のままにては鶴を見ずして鳥屋ばかり見るかの嫌ひあり。 次に病鶴と梅の配合は支那伝来の趣向にて調和善けれどそこへ小雨を加へたるは 甚だ不調和なり。むしろ小雨の代りに春雪を配合せば善からん。 かつ小雨にしても「ふりきぬ」といふ急劇なる景色の変化を現はしたるは、 他の病鶴や梅やの静かなる景色に配合して調和せず、むしろ初めより降つて居る の穏かなるに如かず。……
私などは「一応はそれらしい歌なのではなかろうか」などと思っていただけに、 ここまで厳しい批判でズダボロにされると、 少々愕然としてしまう。その上だから最後の段落の迫力がより増す。……次に最後の「朝」、この朝に時をここに置きたるが気にくはず。 元来この歌に朝という字がどれ程必要……図に乗って余り書きし故筋痛み出し、 やめ。
こんな些細な事を論ずる歌よみに気が知れず、などいう大文学者もあるべし。 されどかかる微細なる処に妙味の存在なくば 短歌や俳句は長い詩の一句に過ぎざるべし。
(三月二十八日)
しかも、これでおしまいではなくて、この後一週間に渡って、 毎日一首か二首づつ落合氏の短歌が「批評」される。 どれもこれも、「けちょんけちょん」と言って良いくらいで、 傍で聞いている分には堪らなく面白いが、 当の作者にはさぞかし応えたのではなかろうか。
最初は、子規さん筆が滑りすぎたか、と思う箇所もあったが、 何度か読んでいると、その指摘にかなり客観性がある事がわかってきて、 いよいよ感心する。 つまり、持論の「写生」「月並調」を具体的に敷衍していて、 しかも、それぞれにとても説得力が有る、という事。
俳句や短歌の事はともかく、文章一般に適用するなら、 読者がイメージできるように ……図に乗って余り書きし故頭痛み出し、やめ。(← これは便利だ。)
四国つながり
子規さんはお隣の伊予の出なので、子供の頃の話には懐しい物事が結構出てくる。 「ドンコ」という魚が小さなハゼであるというのを初めて活字で読んで、 とても懐しかった。(なにしろ、東北ではドンコというのは、 大きくてグロテスクな底魚の事を指すのだった。)とりわけ感激したのは、田舎では東京と違って家内でなんでもやる、 と言う中で、
上の「写生」を実地で示そうというつもりではなかったのかも知れないが、 私にはこれで「写生」を会得できたように思う :-p 「女が出刃包丁を荒砥にかけ」——男が庖丁を研ぐと、 荒砥、中砥、仕上砥と続けてピカピカにしてしまうけど、 私の亡くなった祖母などは、 荒砥にかけただけでまだ刃が灰色に見える出刃庖丁を使っていた。 鯛等の骨の固い魚を捌く時にはこれが却って具合が良いのだそうな。 「腹綿をつかみ出し」——いささかシュールだが、これも祖母は実際こうやっていた (祖母は魚の行商をやっていたので、「家内」ではなくプロだが。) その光景が目に浮ぶようだ。と言うより、子規のこの文章のお陰でそれを思い出した。 これは凄いなぁ(写生恐るべし)。洗濯は勿論、著物も縫ふ、機も織る、糸も引く、 明日は氏神のお祭ぢやといふので女が出刃庖丁を荒砥にかけて 聊か買ふてある鯛の鱗を引いたり腹綿をつかみ出したりする様は 思ひ出してみる程に面白い。 しかし田舎も段々東京化するから仕方がない。
漱石弄り
この頃、漱石さんはイギリスに留学していて、そのせいか、 子規さんはこの日記の中であまり彼に言及していない。 でも、たまにはバンタリングをやる。とか、……、 そこらの水田に植ゑられたばかりの苗がそよいで居るのは誠に善い心持であつた。 この時余が驚いた事は、漱石は、 我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかったといふ事である。
などと遠慮がない……。これだけでも、私にはとても面白いが、 漱石全集には、この事に言及した箇所が有り漱石が倫敦の場末の下宿屋にくすぶって居ると、下宿屋の上さんが、 お前トンネルといふ字を知ってるかだの、 ストローといふ字の意味を知つてるか、 などと問はれるのでさすがの文学士も返答に困るさうだ。 この頃伯林の灌仏会に滔々として独逸語で演説した文学士なんかにくらべると 倫敦の日本人はよほど不景気と見える。
子規が亡くなって数年後の言及だが、感動させられる (「暗に余を激勵した……」には、つい「ああ、いいなぁ」と。) と同時に、両文豪に対して誠に不謹慎ながら、お二人の往復書簡エッセイ (壇・阿川の「ああ言えばこう食う」みたいな) を読んでみたかった ……図に乗って余り書きし故頭痛み出し、やめ。子規はにくい男である。嘗て墨汁一滴か何かの中に、 獨乙では姉崎や、藤代が獨乙語で演説をして大喝采を博してゐるのに 漱石は倫敦の片田舎の下宿に燻って、 婆さんからいぢめられてゐると云ふ樣な事をかいた。 …… 子規がいきて居たら「猫」を読んでなんと云ふか知らぬ。…… 有名になった事が然程の自慢にはならぬが、 墨汁一滴のうちで暗に余を激勵した故人に對しては、此作を寄するのが或は格好かも知れぬ。 (全集第十一巻、「我輩は猫である」中篇自序、p.529)
256/1,788,186 Taka Fukuda Last modified: 2013-07-09 (Tue) 06:27:15 JST