極私的批評空間
(八当り的悪口のあれこれ―2013)
目次
小説: 森 鷗外「かのように」、 岩波「鷗外全集」第 10 巻 pp.43-78
2013-07-27 (Sat): 読了
小説: 森 鷗外「吃逆」、 岩波「鷗外全集」第 10 巻 pp.79-92
2013-07-28 (Sun): 読了
小説: 森 鷗外「藤棚」、 岩波「鷗外全集」第 10 巻 pp.93-106
2013-07-29 (Mon): 読了
小説: 森 鷗外「鎚一下」、 岩波「鷗外全集」第 10 巻 pp.107-120
2013-07-30 (Tue): 読了久々に再開した読書日記だが、 「しばらく棚上げ」した筈の鷗外さんの作品が続く。 実際には漱石さんの作品と接している時間の方が長いのだが、 そっちはなかなか纏めるふんぎりが付かなくて、ついつい……
この「かのように」は、全集を買ったころに一度読んだ筈だが 「あれ、こんな話だったっけ」と思う程、憶えていない。 例えば、主人公の五条秀麿は大学の教師だったような気がしていたのだが、 これは大外れ。 その上、これらが四部作を成す事さえ憶えてなかった(知らなかった?)
日本歴史の研究者が、国定の史観(まだ、 「皇国史観」程はぶっ飛んではいない——多分)と折り合うために精神的な葛藤を味わう、 というあたりまでは大まかに「合って」いるのだが、 こんなに卑小・卑近な話だったとは……。 何しろ、親友(綾小路 :-) に冷かされるとおり、 主人公にとっての「当面の一大事」は、 ドイツ留学で身につけた自分の実証的・合理主義的世界観を父親に開陳する事らしい。 で、秀麿は遂に父親と対峙するに至らぬまま 4 部作は終ってしまう。
固くなって読んでる方にとってみたら、「あれっ」みたいなもんである。 特に、漱石さんの「心」や「明暗」と並行して読んでいると、 この四部作は「肩透かし」を喰ったように感じる。 勿論、子爵である父親と対峙する事は、 当時の日本社会(つまりは天皇制)と対峙する事につながる訣で、 オイディプスコンプレックスがらみに帰着できない面もあるだろう。 が、秀麿が(鷗外さんも)「多分日本では受け入れられないだろう」 と思い悩んでいるのは、何とドイツ皇帝のよき臣民である事を誇りにしている ハルナックやファイヒンガー、オイケンの思想なのである。 (「かのように」(独語 als ob)は、ファイヒンガーの著作 "Die Philosophie des Als-Ob" から取ったものらしい。)
まさに「いやはや」で、 確かに、主人公の「葛藤」は留学前からかなり深刻なものだったようだし、 それは多分かなりの程度まで作者(鷗外)の実体験に基いているのだろうが、 しかしこれを当時の知識層の思想的葛藤としては、あまりに微温的だろう。 「かのように」の出版された年(1912 年)は大逆事件(1910 年)、 南北朝正閏問題(1911 年) 等々と、大日本帝国全体が、 「国体の在り方」を巡って揺れていたのであるから。
しかし、この「がっかり」も、裏を返せば、 後世の読者である自分が、 鷗外さんに対して勝手に抱いた「偉大さ」という幻想への、 これまた勝手な幻滅なのかも知れない。 当時の大日本帝国の暴力的な思想統制 (上の「大逆事件」がその典型)の有り様、また、 鷗外さんが一貫して、その高級軍官僚で有った事を思えば、 むしろ「よく言った」と思うべきか。
しかしそれでも、議論の部分はまだ「読みで」が有る。 小説の粗筋の方はまったく頂けない。 特に「吃逆」が酷い。 ひょっとして自分が何か見落したか、と読み返してみたが、 ますます「何が良いのかさっぱり分らん」が募るのみだった。
小説: 森 鷗外「青年」、 岩波「鷗外全集」第 6巻 pp.273-471
2013-06-16 (Sun): 読了「なかじきり」を読んでいて、「ジエネアロジツク」が分らなくて調べてゐたら、 大野さんの鷗外の衒学趣味批判に行きあたって、 そこで引かれてゐるこの小説を読み始めたら、 「案外いけそう」という事でついつい :-p
確かに、肝心なところが屡々フランス語やドイツ語になっていて (ローマ字の綴りに、カタカナの振り仮名)これはキツい。 だが、「なかじきり」に比べたら頻度は低いし、 ローマ字のつづりがあるから辞書が引ける……という事もあって、 そんなに怒る程でもないような気がした。
しかし、小説自体はかなり面白い。 漱石の「三四郎」「心」と「明暗」を合わせたような……。 といふか、相当漱石の作品を意識しているのではないかと思ふ。 しかし、「青年」の雑誌連載は、1910-11 で、「それから」と「門」 の後で、「心」や「明暗」の大分前。 ひょっとしたら、影響を受けたのは漱石の方かも、云々云々。 で、ついつい「道草」を中断して、こっちを読み終えてしまった——むしろ、 「三四郎」をより成人向けにした(つまり美しい女性が沢山登場する) ように思えるからかも。
しかし、何より面白かったのは、 漱石さんと自分を並べて棚卸しをしているあたりだった。
話題に上つてゐるのは、今夜演説にくる拊石である。老成らしい一人が云ふ。 あれは兎に角藝術家として成功してゐる。 成功といつても一時世間を動かしたといふ側でいふのではない。 文藝史上の意義でいふのである。それに學殖がある。短篇集なんぞの中には、 西洋の事を書いて、西洋人が書いたとしきや思はれないやうなのがあると云ふ。 ……なかなか評価が高い。(勿論、「拊石」は漱石のモジリ。 ちなみに、「拊」は「ぽんぽん叩く」とか「なぜる」という意味。) で、彼が帝大を辞めた事に言及して、
……「それでも教員を罷めたのなんぞは、 生活を藝術に一致させようとしたのではなからうか。」ここでは思わず声を出して笑ってしまったよ。(鷗村は鷗外、だよね。) で、まだまだ続く……
「分かるもんか。」
目金の男は一言で排斥した。
今まで黙てゐる一人の怜悧らしい男が、遠慮げな男を顧みて、かう云った。
「しかし教員を罷めた丈でも、鷗村なんぞのやうに、 役人をしてゐるのに比べてみると、餘程藝術家らしいかも知れないね」
純一は拊石の物などは、多少興味を持って讀んだことがあるが、 鷗村の物では、アンデルセンの飜譯丈を見て、こんな詰まらない作を、 よくも暇潰しに譯したものだと思った切、 此人に對して何の興味をも持つてゐないから、 會話に耳を傾けないで、獨りで勝手な事を思つてゐた。このあたりは、「なかじきり」同様、ちょっと嫌味(やりすぎ)だなあ、と思つてゐたら、 すぐに続けて、
「厭味だと云はれるのが氣になると見えて、自分で厭味だと書いて、 その書いたのを厭味だと云はれているなんぞは、随分みじめだね」と、 怜悧らしい男が云つて、他の人といつしよになつて笑つたの丈が、 偶然純一の耳に止まった。とくる……。最初は私も笑っていたが、 「嫌味かな」という感想は私も持ったので、 鷗外さんにとっては、切実な問題だったのかなぁ、と思うようになった。 しかも、7年後の「なかじきり」でも、その「感じ」を払拭できていない。 しかし、話はそこに留まらない。
純一は……ふいとかう思った。自分の世間から受けた評に就いて彼此云へば、 馬鹿にせられるか、厭味と思はれるに極まつてゐる。 そんな事を敢てする人はおめでたいかも知れない。厭味なのかも知れない。 それとも實際無頓着に自己を客観してゐるのかも知れない。 それを心理的に判斷することは、性格を知らないでは出來ない筈だと思つた。うーむ。これまでのところは、(「猫」の苦沙弥先生の流儀で) 自分を笑っている、というようにも取れたが、 しかし、ここまで来ると、なんだか憤懣やるかたないのが見えてしまうというか、 自己弁護になりかけているというか……。 だんだん笑えなくなってきて、 同時に「鷗外さんって意外に(やっぱり?)小人物なのかな」なんて不遜な感想も湧いてくる。
なんだか、小説としての粗筋に殆んど関係ないところで、 感心したり貶したりしているが、元を正せば、 鷗外さんが「自分を語ろう」とするのがいけない、 等と「澁江抽齋」のときと同じ不満を言い訣にしておく…… :-p
評論: 森 鷗外「なかじきり」、 岩波「鷗外全集」第26巻 pp.543-545
2013-06-09 (Sun): 読了(二度目)固より内心では「セミリタイアの『セミ』に拘るのは所詮は未練に過ぎないかも」 と思っているのだが、会社を辞めた頃に人にそう言われたなら、「ほっとけバカヤロ」 くらいは言い返したかも知れない(勿論「心の中で」ですが)。 しかし、このごろでは「未練を残すのもなかなかしんどいな」なんて思っている。 何しろ、「縦書きの本」を読み耽るのが楽しすぎて……
そんな中(毎度の言い訳ですが)「とりあえずは止めておく」筈の鷗外全集を、 ぱらぱら捲っては、たまに引き込まれる、なんて事を繰返している。 なにしろ鷗外さんともなると、 「題名は聞いた事がある」という作品が結構たくさん有って、 そういうのが目にとまると、ついつい、となる。
で、この「なかじきり」もその一つ。 ン十年前最初に読んだ時は、何が書いてあるのかさっぱり分らず、 また敢えて分りたいとも些とも思わず……という為体であったが、 評論家諸氏が偶に引用するので、ちょっと興味を引かれていた。 今回も「よう分らん」のは相変らずだが、 理解できるところが若干増え、その中にはかなり身につまされるところも有った。
わたくしの多少社會に認められたのは文士としての生涯である。…… 歷史に於ては、初め手を下すことを豫期せぬ境であつたのに、 經歷と遭遇とが人のために傳記を作らしむに至つた。 そしてその體裁をして荒涼なるジエネアロジツク(*)の方向を取らしめたのは、 或は彼ゾラにルゴン、マカアルの血統を追尋させた自然科學の餘勢でもあらうか。うーむ、なんでここで外国語が?ともあれ「荒涼なる」って、 私が「面白くない」と思っても無理もないって事かなぁ。
(*) généalogique (fr), genealogic (en): 系譜学的な、血統学の?
然るにわたくしには初より自己が文士である、 藝術家であると云ふ覚悟はなかつた。 ……。唯、暫留の地が偶田園なりし故に耕し、 偶水涯なりし故に釣つた如きものである。 約めて言へば私は終始ヂレツタンチスム(*)を以つて人に知られた。うむ、こう言われると、迂闊に dilettante (素人)は名乗れないような気がしてきた。 しかも、一見凄く謙遜しているようにも聞こえるが、 同時にとっても嫌味でもあるような——「澁江抽齋」他の史伝の作者が、 作家でも歴史家でもなく単なる素人だって? こんなの読むと、裸足で逃げ出す玄人先生が続出するのではないだろうか。
(*) dilettantisme, dilettantism
歳計をなすものに中爲切と云ふ事がある。 わたくしは、此數行を書して一生の中爲切とする。 しかし中爲切が或いは卽總勘定であるかも知れない。 少くも官歷より観れば、總勘定も亦此の如きに過ぎない。このところ、「簿記」や「経理」なんてものに手を出して、 こっぴどく撥ねつけられていて、その所為もあって、 この小文に惹かれたのだと思う。 それにしても、これを書いた 1917 年は、鷗外さん 55歳で、 「澁江抽齋」や「高瀬舟」を書いた翌年で、余命は 5年。 「なかじきり」としたのは、 鷗外さんが偶に見せるユーモアなのかな。 それとも、まだ道半ば、まだまだやるぜえ、という決意表明なのか……
私は何もしてゐない。一閒人として生存してゐる。しかし人間はヱジエタチイフ(*) にのみ生くること能はざるものである。人間は生きている限は思量する。 閒人が往々棋を圍み 骨牌を弄ぶ所以である。そうかぁ、何をしようとも所詮は囲碁やトランプで遊ぶのと変わりなく、 何を取るかで悩む必要は無いと……。 しかしまあ、これは謙遜としては固より、励ましとしても、 また嫌味としても強烈だねえ。 (それにしても、軍医の鷗外さんが「戦争嫌い」だったとはちょっと意外。)
剩す所の問題はわたくしが思量の小兒にいかなる玩具を授けてゐるかと云ふにある。 爰に其玩具を 𢮦して見ようか。 わたくしは書を讀んでゐる。それが支那の古書であるのは、 今西洋の書が獲難くして、 その偶獲べきものが皆戰爭を言ふが故である。……
(*)végétatif, vegetative: 植物的な、無為の?
最初讀んで良く分らなかった理由の一つに、 元の語が推測できない外国語が頻出する事がある。アルシャイスム、 ジエネアロジツク、ヱジエタチイフ、レセプチイフ、プロドユクチイフ……。 まず、これ は、 大野 徹「森鷗外の語学力と作家活動」によるとフランス語なんだそうな。 鷗外さんと言えばドイツ語と思ってしまうが、確かに「青年」では、 フランス語の綴りにこのようなフリガナを振ってある。 しかも、アルシャイスムは archaïsme (archaism) でアルカイスムとすべきである、と。ドイツ語ならば Archaismus で ch を /ʃ/ と発音するから、そっちに引っ張られたのかな、程度に思ったが、 大野氏は
鴎外は、明治42年頃から、 むやみにフランス語系外来語を使ひだしたが、 彼の衒学趣味の表れといってよく、 殆ど当然のことながら誤用が見られる。と容赦がない。しかも、その「青年」での誤りが、 7年後の「なかじきり」でも残っているのだから、 大野氏の言い過ぎでもないような気がしてくる。
私にとっては、この「衒学趣味の表れだ」はある意味とても強烈で、 これまで少しは残っていた鷗外さんへの幻想をきれいさっぱり打ち砕いてしまう。 言ってしまえば、これらの外国語の乱用が鷗外さんの「学殖」の片鱗ではなく、 見栄で難しい言葉を使ってしかも誤っている、となれば、 こちらは、この短文の論旨全体に渡って「ああそうですか」 と言うしか無くなる、という事。
でも、このことが有って読み初めた「青年」は、漱石さんの「三四郎」や 「それから」を彷彿させて、結構面白いんだよなぁ。悩ましい。
245/1,788,175 Taka Fukuda Last modified: 2017-06-07 (Wed) 12:11:00 JST